佐藤友哉『クリスマス・テロル』(ネタバレ含む)
クリスマス・テロル invisible×inventor (講談社ノベルス)
- 作者: 佐藤友哉
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2002/08/06
- メディア: 新書
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講談社ノベルス創刊20周年記念密室本
メフィスト賞作家特別書き下ろし作品“密室本”最大の問題作、あるいは傑作。孤島密室!
女子高生・冬子が「本物の衝動」に突き動かされてたどり着いた見知らぬ孤島。
そこで出会った青年から冬子はある男の「監視」を依頼される。
密室状態の岬の小屋に完璧にひきこもり、ノートパソコンに向かって黙々と作業をつづける男。その男の「監視」をひたすら続ける冬子。双眼鏡越しの「見る」×「見られる」関係が逆転するとき、一瞬で世界は崩壊する!
「書く」ことの孤独と不安を描ききった問題作中の問題作。あるいは傑作。
クリスマスです。なので読みました。はい。
去年は何の季節感もなく『空耳の森』とか『悪魔の報復』を読んでしまっていたので今年は季節に合ったセレクトをしようと。
というわけで内容の話に入っていくのですが、まず雑感として、これはミステリか?
確かに形式的にはミステリですが、なんとなく読んだ印象ではミステリは結果的な着地点ではないかなと。つまり、意図してミステリを書いたわけではなく、書きたいことを書こうとした結果最もミステリという形式がすんなりとはまったという感じではないのかなと。
この作品の主題はあらすじにもある通り「見る・見られるの関係」であったり「書くことへの苦悩」とかであったりするわけですから、その抽象的な概念をフィクションとして具現化させた結果のトリックであったり、構成であったりするように感じました。
以下、ネタバレ含みます。
この作品は結局、作者自身の「書くことに対する苦悩」を読者にぶつけるための作品だと思います。
で、そのための道具がこのミステリ的ガジェット、より具体的に言うと消失トリックとその周辺。
まず、読者対物語と冬子対尚人が相似形になっているというのがこの作品の肝です。
冬子が物語の中盤において、メタフィクション的発言をする箇所がいくつか見られます。これの意味するところは、見られる者(=冬子)が見る者(=読者)を意識しているという状態。この時、冬子は物語の語り手であるわけですから“見られる者”を冬子から物語へと拡大してよいでしょう。
また、第8章において尚人が冬子に監視されていたことを知っていたという記述があるので、これも見られる者が見る者を意識していると抽象化できます。
とりあえず、対応の一例は示せたかなと思います。
では、この消失トリックが何を意味するのか。
真相に触れますが、この消失トリックは冬子が尚人を認識できなくなったというものです。
ではこれ、読者対物語に対応させてみるとどうなるかというと、読者が物語を認識できなくなったとなります。
これはまさに引用されたオースターの文章や終盤での尚人の発言の内容と合致しています。
ということで結局このトリックはオースターの文章をそのまま具現化したものである、となります。
最後に、浩之唯香姉弟の意味合いとラストの話だけ軽くしたいと思います。
まず、姉弟が物語対読者のおいて何を意味するかですが、まあこれはこの作品自体の表面的な内容全部でしょう。二人は真相自体は分かっていながら、敢えて冬子に教えなかったわけですから、これは作品の表面的な内容は直接的に読者の本質部分を示さない、という事実と対応しているわけです。そうすると、二人が真相に気付いていた事実もなんとなく理解できます。
ラスト、といっても終章の話ではなくて、冬子が尚人を見つけるという部分の話。これは対応を考えれば、読者が作品の本質部分に気付くということでしょうが、それはこれまでの内容を鑑みれば矛盾しているので、「これだけ書いてもどうせ理解されない」という自虐ということで理解しました。
なので個人的には冬子が尚人を見つけられなかった、というラストの方が良いように感じました。
とまあ、いろいろ書いたいいんですが、正直どこまで正解かわからないですし、そもそももとになった『幽霊たち』を読んでないので何とも言えません。
ただ一つだけ、いくつか見かけた消失トリックに対するミステリ的視点からの評価、流石に的外れでは。だって、副題が「invisible×inventor」だから読む前からわかるでしょ。