猫の巣

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フランシス・ハーディング『カッコーの歌』

 

カッコーの歌

カッコーの歌

 

「あと七日」意識をとりもどしたとき、耳もとで言葉が聞こえた。わたしはトリス、池に落ちて記憶を失ったらしい。少しずつ思い出す。母、父、そして妹ペン。ペンはわたしをきらっている、憎んでいる、そしてわたしが偽者だという。なにかがおかしい。破りとられた日記帳のページ、異常な食欲、恐ろしい記憶。そして耳もとでささやく声。「あと六日」…わたしになにが起きているの?『嘘の木』の著者が放つ、傑作ファンタジー。英国幻想文学大賞受賞、カーネギー賞最終候補作。  

 

一昨年ファンタジー世界を舞台にしたフーダニットミステリとして評価を得た『嘘の木』の作者フランシス・ハーディングによるファンタジー作品です。

 

物語は、主人公のトリスが目を覚ますところから始まります。彼女はどうやら池に落ちて意識を失っていたらしいものの、記憶が混乱しておりそのことを思い出せない。さらにいくら食べても空腹を感じてしまう。体の異常を感じるトリスでしたが、そんな中、妹のペンが彼女の事を偽物扱い。さらに、彼女の両親はなにやら怪しげな会話をしており、それはトリスを池に落とした犯人かもしれない男の事について。一体、何が起こっているのか……。

 

という話です。邦訳第一作の『嘘の木』がれっきとしたミステリだったのに対して、この作品はミステリといえるかどうかは曖昧なところ。

序盤の両親の会話や妹ペンの言動を謎として見れば、確かに伏線も張ってありますし、ミステリとしての面白さも十分見出すことが出来るのですが、この作品の見どころはそれ以上に、子供視点から見た冒険小説の部分でしょう。

 

もともとこの作品、イギリスでは児童小説として区分されています。なのですが、大人が読んでも十分に面白い。というか、大人だからこそ楽しめる部分があります。

まず、この作品の児童小説らしさを見いだせる点として、オブラートの包み方が挙げられます。全体を俯瞰してみると部分部分に大人たちの利己的な姿や汚らしさに対する批判とも取れる要素が見受けられのですが、これをあくまでお伽話として説明しています。大人たちのせいで不利益を被ってしまう子供たちをそのままに描くのではなく、その子供たちが、自身のアイデンティティを持ち、懸命に生きようとする姿を描くことで、この物語自体が汚く、暗くマイナスな要素を含んだものに見せないようになっています。そういう点で非常にファンタジーとして上手くできています。

 

次に、前述した大人だからこそ楽しめる部分についてなのですが、これは『嘘の木』についても同様の事が言えるのですが、子供との視点の違いです。

この作品は前述したとおり冒険小説的色合いの強い作品です。さらに主人公はまだ子供。となれば、必然的に子供は主人公の視点と同じ視点で見るようになります。ですが、大人はもっと客観的な視点で見る形になります。そうすると、主人公のトリスの姿については子供たちよりも大人の方がより詳しくみられることになります(子供は主人公視点で見るのですから、主人公=自分については客観的視点よりは見られることが少なくなります)。ただ、その一方で過去の自分と重ね合わせて読むことで主人公視点で読むこともできます。そうすると、客観的姿勢よりもサスペンスとストーリー展開自体を楽しめるようになります。

 

だからこそ、この物語は子供のためだけでなく、大人たちのための物語でもあり、ファンタジーというフィクションでありながら、決してそこで終わることのない、現実とも地続きで、けれども物語のわくわく感を、未知のものに触れる楽しさを教えてくれる、そういう作品です。

必読の傑作です。