猫の巣

読んだ本の感想など、気の赴くままに。

瀬名秀明『八月の博物館』

 

八月の博物館

八月の博物館

 

 小学生最後の夏休み。少年トオルは、偶然に見つけた不思議な建物「THE MUSEUM」で謎の美少女・美宇に出会う。あらゆる時代と場所を超えて移動することが可能なこの建物の中で、過去のエジプトへ飛んだ二人。しかし、その冒険は、長く封印されていた邪悪な力を召喚し、大人になった未来の自分自身さえも呼び寄せていく。壮大なスケールで展開する、物語のワンダーランド。

 

傑作。

いうなれば、物語のための物語でしょうか。

 

物語の作為性。つくられた感動。

そこに、疑問や違和感を覚えるのはおそらく作者も読者(視聴者)も同じ。

人間が人間に対して作り上げる娯楽作品という枠の中である以上、作為性は必ず存在しているし、その存在がその通りでなければならない絶対的な理由はおそらくない。

そうした“物語”の姿を問い、それに対する解をあくまで“物語”に仮託して、示そうとした作品。それがこの『八月の博物館』です。

 

ストーリーとしては、ドラえもんを彷彿とさせるような少し不思議なSFで、各々が何かを見出すためのひと夏の物語で、また子供心をくすぐられる冒険ファンタジーであり、それと並行してその物語を描く小説家の姿も描く、額縁小説的な構成も取っています。

 

冒険小説、青春小説、SF、ファンタジーetcと様々なジャンルを内包しているのですが、ミステリ的視点から見ても非常に優れています。

 

前述の通り、メタフィクション的構成をとっているのですが、そこにおけるある気づきが非常に優れています。

 

一般に、ミステリとしてひとまとめにされて語られる時、そこに意図されているのは、トリックの絢爛さ壮大さや伏線、ロジックの精緻さなどなどが主です。勿論、これは当たり前といえば当たり前で、もちろん僕もそういう文脈で使うことがほとんどなのですが、この作品はそこからは少し外れていて、ミステリをあくまで一つの手段として扱い、目的としては扱っていません。

勿論、ミステリ的興味という観点では上で述べたような、ミステリそれ自体を目的としている作品の方が勝っているのは言うまでもないのですが、ミステリの存在意義を敢えてその外に持ち出したことで、ミステリを作為性から取り出して語ることを可能にしています。

ミステリが一番抽象化しやすかったので、ミステリを例に取って書きましたが、これはミステリに限らず他ジャンルについても同様の事が言えます。

そして、それをすべて包含しながら、その一歩先の“物語”自体へと踏み入れているのが、“物語のための物語”と表現した理由です。

 

あまり抽象的で独りよがりな感想を書く気はなかったので、この辺で止めておきます。

 

ということで、物語それ自体を問う、傑作です。