猫の巣

読んだ本の感想など、気の赴くままに。

瀬名秀明『八月の博物館』

 

八月の博物館

八月の博物館

 

 小学生最後の夏休み。少年トオルは、偶然に見つけた不思議な建物「THE MUSEUM」で謎の美少女・美宇に出会う。あらゆる時代と場所を超えて移動することが可能なこの建物の中で、過去のエジプトへ飛んだ二人。しかし、その冒険は、長く封印されていた邪悪な力を召喚し、大人になった未来の自分自身さえも呼び寄せていく。壮大なスケールで展開する、物語のワンダーランド。

 

傑作。

いうなれば、物語のための物語でしょうか。

 

物語の作為性。つくられた感動。

そこに、疑問や違和感を覚えるのはおそらく作者も読者(視聴者)も同じ。

人間が人間に対して作り上げる娯楽作品という枠の中である以上、作為性は必ず存在しているし、その存在がその通りでなければならない絶対的な理由はおそらくない。

そうした“物語”の姿を問い、それに対する解をあくまで“物語”に仮託して、示そうとした作品。それがこの『八月の博物館』です。

 

ストーリーとしては、ドラえもんを彷彿とさせるような少し不思議なSFで、各々が何かを見出すためのひと夏の物語で、また子供心をくすぐられる冒険ファンタジーであり、それと並行してその物語を描く小説家の姿も描く、額縁小説的な構成も取っています。

 

冒険小説、青春小説、SF、ファンタジーetcと様々なジャンルを内包しているのですが、ミステリ的視点から見ても非常に優れています。

 

前述の通り、メタフィクション的構成をとっているのですが、そこにおけるある気づきが非常に優れています。

 

一般に、ミステリとしてひとまとめにされて語られる時、そこに意図されているのは、トリックの絢爛さ壮大さや伏線、ロジックの精緻さなどなどが主です。勿論、これは当たり前といえば当たり前で、もちろん僕もそういう文脈で使うことがほとんどなのですが、この作品はそこからは少し外れていて、ミステリをあくまで一つの手段として扱い、目的としては扱っていません。

勿論、ミステリ的興味という観点では上で述べたような、ミステリそれ自体を目的としている作品の方が勝っているのは言うまでもないのですが、ミステリの存在意義を敢えてその外に持ち出したことで、ミステリを作為性から取り出して語ることを可能にしています。

ミステリが一番抽象化しやすかったので、ミステリを例に取って書きましたが、これはミステリに限らず他ジャンルについても同様の事が言えます。

そして、それをすべて包含しながら、その一歩先の“物語”自体へと踏み入れているのが、“物語のための物語”と表現した理由です。

 

あまり抽象的で独りよがりな感想を書く気はなかったので、この辺で止めておきます。

 

ということで、物語それ自体を問う、傑作です。

 

小松左京『継ぐのは誰か?』

 

継ぐのは誰か? (角川文庫)

継ぐのは誰か? (角川文庫)

 

 「チャーリイを殺す」―ヴァージニア大学都市のサバティカル・クラスの学生達に送られてきたこのメッセージは、単なる殺人予告ではなく、“人類への挑戦”だった!人類の科学技術を超えた手段で攻撃を仕掛けてくる“何者か”を追って、舞台はアマゾンへと移るのだが…。人類は果たして地球の“最終王朝”なのか、それとも“後継者”が現れてくるのか。 

 

 

かの有名な小松左京の書いたSFミステリです。

といっても、ミステリ的趣向はあくまで、核心へと迫る後半のためのジャンプ台といった印象です。

そもそものこの作品の主題はタイトルにもある通り“(人類を)継ぐのは誰か?”です。

例えば、第一章の序文の後

人類は完全じゃない――それが僕たちの間で、何度もむしかえされる議論のテーマだった。そんなことはむろんわかりきったことだし、それをいったところで、どうなるというものでもなかった。

 と始まる。人類は完全ではない。だからこそ、その人類はいずれ衰退する。その時に、それを継ぐのは何者か。

とまあ非常に思索的な主題ではあるのですが、作品自体はどちらかというと娯楽度が高く、エンターテインメント性に富んだものです。

 

まずミステリ要素を単体としてみると、謎解きやその過程というよりも要素としての本格色が強いです。

舞台はヴァージニア大学

「チャーリイを殺す」という殺害予告を奇妙な方法で聞かされた彼らは警察の手を借りることに。そうするとなんと、ここ二か月の間に同様の事件が三件、しかもモスクワ、京都、ソルボンヌと別々の場所で起きていた。

チャーリイを護衛する彼らと警察だったが……。

あらすじとしては以上のような感じ。

上で述べた連続殺人以外にもダイイングメッセージ、不可能犯罪、など要素として非常に濃い。

けれども、解決は面白いけれども、諸所の要素についてはあくまで先へとつなげる線路という印象が強いです(一度読み終わってから振り返ってみるとSFミステリとして上手くできてるように思えるのですが、初読だとさすがに高評価はしにくいように思います)。

 

またその一方で青春小説的な側面も持ち合わせています。

大学生たちの色恋も一応描かれていますし(これに関しては非常にあっさりとしたものではありますが)、また事件を経て感じる彼らの苦悩であったりだとか、壮大なスケールの問題に巻き込まれていく中でのあくまで一大学生的な立ち位置であったりだとか、非常に見どころが多いです。

また、そういう点ではひと昔まえのライトノベル的、セカイ系的な諸作に繋がる、主人公やそのヒロイン等が巨大なスケールの問題へと直接的に干渉するという構成をとっているのも一つの見どころかもしれません。

 

そして、やはり一番の魅力、というか凄さは、先見の明。

インターネットの発達と、それによって引き起こされる諸問題の姿は今の現実と繋がるとこ利が多くみられますし、またそうした近未来に向けた先見の一方でどちらかといえば遠未来的な人類自身の未来にも目を向けている点は秀逸です。

ですから、舞台となった時代や場所以上の壮大さを感じさせる作品になっています。

 

ということで、ミステリを纏ったSFとして、傑作です。

ブライアン・W・オールディス『地球の長い午後』

 

地球の長い午後 (ハヤカワ文庫 SF 224)

地球の長い午後 (ハヤカワ文庫 SF 224)

 

大地を覆いつくす巨木の世界は、永遠に太陽に片面を向けてめぐる植物の王国と化した地球の姿だった!わがもの顔に跳梁する食肉植物ハネンボウ、トビエイ、ヒカゲワナ。人類はかつての威勢を失い、支配者たる植物のかげでほそぼそと生きのびる存在になり果てていた人類にとって救済は虚空に張り渡された蜘蛛の巣を、植物蜘蛛に運ばれて月へ昇ること。だが滅びの運命に反逆した異端児がいた……。ヒューゴ賞受賞の傑作。 

 

前の感想から少し時間が空きました。はい。

小説自体は結構読んでいるのですが、感想をまとめる時間がないのとその気力がないのとSFばかり読んでいてアウトプットの仕方が難しいのと、まあ色々理由はあるのですが、とりあえず空き過ぎるのもあんまりなので直近で読んだ本の感想を。

 

人類が衰退し、植物が異常な進歩を遂げた世界を描いた遠未来SFです。

まずざっと読んだ感触として、面白さのベクトルが小説よりも絵画とか写真とかそういう視覚的なメディアのようなイメージです。

というのも、ストーリー展開自体よりもそれに伴って示される背景世界の書き込みの方が面白いからです。

ストーリー自体は強いて言えば冒険譚的な色合いが強いのですが、それ自体にはそこまでの面白さは見いだせないように思います。

その要因として大きなものは、主人公の魅力の薄さと物語の引きの弱さ。

 

前者はまあさほど気にならないのですが、後者はもう少し何かしらの作り込みが欲しかったように思います。

物語の引き方として有効なのは、言わずもがな伏線であったり、謎であったりなのですがそれが全くない。

ただ淡々とした冒険が描かれるだけで、そこに物語としての緩急はそれほど感じられない印象です。

また、個人的には、読みたい物語ではない方の話ばかりが描かれ、求めている話はそのままフェードアウトしていってしまった印書が強く、そこは残念でした。

 

純粋な小説作品としての評価は以上のような感じなのですが、この作品に限ってはこれが単なるマイナス点ではなく、プラスにも働いています。

それが前述の視覚的な面白さです。

そもそもこの作品の魅力というのは背景に広がる壮大なイメージとそのディティールす。

このイメージとストーリーを例えて言うならば絵画と額縁といった感じでしょうか。

額縁だけが無駄に派手過ぎては絵画の魅力が減退するし、また額縁が無ければそれはそれで問題。

ですから、これを強調するための枠組みとして物語が描かれるだけであって、それを作品の中枢に据えていない、という風に考えれば必ずしも物語の弱さが瑕疵にはなっていないようにも思います。

またこの作品の魅力を引き立てているのが、というか訳書においてはほぼそこに依っているようにも思いますが、訳のすばらしさです。

架空の植物の訳文上での扱い方も素晴らしいですし、純粋な文章としても巧い。

 

ということで、純粋なストーリーよりもSF的発想とその細部が面白い、読んで損はしない良作だと思います。

 

テッド・チャン『あなたの人生の物語』

 

あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)

あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)

 

地球を訪れたエイリアンとのコンタクトを担当した言語学者ルイーズは、まったく異なる言語を理解するにつれ、驚くべき運命にまきこまれていく…ネビュラ賞を受賞した感動の表題作はじめ、天使の降臨とともにもたらされる災厄と奇跡を描くヒューゴー賞受賞作「地獄とは神の不在なり」、天まで届く塔を建設する驚天動地の物語―ネビュラ賞を受賞したデビュー作「バビロンの塔」ほか、本邦初訳を含む八篇を収録する傑作集。

 

映画化もされた表題作を含む八編を収録した傑作短篇集。

世評の高さもうなずける傑作ぞろいです。個人的に特に好きなのは、表題作と「バビロンの塔」でしょうか。勿論どれも好きなのですが。

 

「バビロンの塔」

バビロンに築かれた遥かなる塔。その塔の頂上の向こう、天には何があるのか、という話。

あまり、宗教には詳しくないのですが非常に面白かったです。まず、天まで届く塔という果てしなく大きなスケールのイメージで興味がそそられます。また、主人公がその塔を登るという過程はある意味冒険小説的でもありますし、随所で行われるヤハウェに関するディスカッションも宗教学的興味に溢れたものです。そして、結末も宗教的側面からと同時に、地球科学的側面(あまり良い表現が思いつかなかったのでニュアンスとして近いもので代替)からも面白いものとなっています(道中でのある設定もここに関わってくるのも非常に面白いと思います)。

 

「理解」

死にかけた主人公があるホルモンを投与されたことによって天才になり、すべてに意味を見出せるようになる話。

序盤は非常に分かりやすく単純に物語が進んでいくものの、中盤からどんどんエスカレートしていき、とにかくわけがわからない。けれども、やはり冒険小説やアクション小説的な展開はわくわくさせられます。また、このアクションというか戦いの始まり方があまりにも何事もないかのように始まるところは、ある意味歪で個人的には好きです。

 

「ゼロで割る」

数学者が数学の無矛盾性が成り立たないことに気付いてしまう話。

自分がすべての信頼を置いてきたものが間違いだったら……という話を極限までスケールを大きくした話。といっても、世界が云々というところまで物語は拡大されずあくまで、数学者の女性とその旦那の間の心情の物語です。心理描写を両側から描く面白さもさることながら、物語の内容を章立てのメタファーとして扱う点は非常に見どころです。

 

あなたの人生の物語

「メッセージ」というタイトルで映画化もされた作品。地球に現れたエイリアンとのコミュニケーションをとるために彼らの特殊な言語形態を解読する話。そして、その間に「わたし」が「あなた」の話を語るパートが挟まっているという構成です。

言語の解読という本筋も非常に面白いものなのですが、それ以上にラストでこの語り掛けのパートと一つの物語として収束していく様は面白く、感動的かつ圧巻です。しかし一つだけ不満点を挙げるならば、このエイリアンとのファーストコンタクトの物語が作者の仕掛けとあまりにも密接に関わりすぎていて、作者の仕掛けのための物語っぽく感じられてしまいます。

 

「七十二文字」

名辞でゴーレムを動かす物語に前成説を入れた話。名辞を開発する命名師である主人公がある貴族からの依頼で人類の危機に立ち向かう話。

二つのアイデアを組み合わせた点が上手い。また、この人類の危機に対する解決策とそこに至るプロセスが何とも言えない皮肉なものであるのも面白いと思います。

 

「人類科学の進化」

〈ネイチャー〉掲載のショートショート。科学記事風の作品です。面白いと思いますが、特に書くことはないです。

 

「地獄とは神の不在なり」

天使の降臨に巻き込まれ妻を失った主人公の話。そこにまた異なる経験を持つ二人が関わり……という話。

神の降臨、地獄、昇天などが可視化されている設定。その中で、天使の降臨に巻き込まれて敬虔な信者だった妻を失った、信者ではない主人公はどうするのかという物語。途中で語られる周辺人物のエピソードの数々も残酷なのですが、それに負けず劣らずの主人公の物語。妻との再会のための云々を模索しながらのあのラストは非常に印象的です。

 

「顔の美醜について」

カリーアグノシア(美醜失認処置)をめぐってある大学で論争が行われる話。

公平を守るために顔の美醜までも干渉されるという物語。勝手な解釈として、現実を限りなく引き伸ばしたような、そういう感じの印象を受けました。ですが物語のアプロ―チとして、幼少期からカリーを行われてた少女がそれを外した時どうなるのかといういわば真反対のことがなされていたり、あくまで、それを行き過ぎた差別統制ではなく、その利点も描きだしたりと絶妙な視点の立ち位置の巧さを感じました。また、その中での主人公の姿は非常に印象的です。

藤井太洋『東京の子』

 

東京の子

東京の子

 

 2023年、東京。パルクールパフォーマーを15歳で引退した舟津怜は、戸籍を買い、過去を隠して新たな人生を歩んでいた。何でも屋として生計を立てる彼は、失踪したベトナム人、ファム・チ=リンの捜索を依頼される。美貌の才媛である彼女は、「東京デュアル」内にあるチェーン料理店のスタッフをしていた。オリンピックの跡地に生まれた「理想の大学校」、デュアル。ファムはデュアルの実情を告発しようと動いていたのだ。デュアルは、学生を人身売買しているのだという―。アフターオリンピックの日本を描いた社会派エンターテインメント。 

 

まず帯の文面が最高に良いので引用しておきます。

東京オリンピックの熱狂は終わった。

モラルも理想もすっからかんになったこの国だけど、僕たちは自分の足で、毎日を駆け抜けていくんだ。 

 

主人公の名前は仮部諌牟――というのは買った他人の戸籍の名目であり、本名は舟津怜。彼は小学生時代にパルクールの動画でyoutubeで人気を博し、海外のファンからは“TOKYO NIPPER(東京の子)”と呼ばれていた。

その彼は二十三歳の今、ベトナム料理屋の上階の六畳一間に住んでおり、職場に来なくなった外国人を連れ戻すという何でも屋として収入を得ていた

ある日、無断欠勤しているベトナム人女性の捜索を依頼され、彼女の職場がある〈東京デュアル〉へと足を踏み入れる。

 

そこで、この作品の主舞台となる東京デュアルが登場します。

この東京デュアルというのは、正式名称〈東京人材開発大学校〉。ドイツの公共職業教育訓練〈デュアル・システム〉を参考にし、500以上のサポーター企業と提携して学校内に職場を取り込んで実務を学ぶというコンセプトですでに4万人の学生を擁する。

 

その中で、仮部諌牟はベトナム人女性の捜索のうちに、その学校内のデモへと巻き込まれていくというストーリーです。

 

テーマとしては雇用問題なのですが、この作品の魅力はそれだけではないです。

その中で重要になってくるのが、パルクールです。それは主人公の過去でありながら、人間とのつながりの道具にもなっているし、はたまた彼の足ともなっています。

そのパルクールを、人間とのつながりを、雇用問題を、新しい学校の形を通して主人公が自分を見つける、それが本当によくできているし、この作品の最も大きな魅力であります。

 

また、その良さを引き立てているのが登場人物たちの純粋さです。

新しい形の学校に対する問題に向き合っていく登場人物それぞれの姿はあくまで純真なものです。そのため、そこに大きな悪意が存在することはないし、主人公もできる限り誰もが損をしない形を模索する。だからこそ、社会派的な問題が汚らしさを排斥しています。

また、彼らがそれでいて頭が良いのも魅力です。作中では、自虐的に高校を出ていないことを話題にしたり、学校の偏差値の低さが話題に上がったりしますが、そういうのではない頭の良さです(上手い表現が見つからない)。

他作品で見られるような完全無欠の天才というのはいないですが、頭の悪い人間がほとんどおらず、それが物語の進行をスムーズにしているように感じます。

 

そして、主人公の名前も物語で非常にファクターとなってきます。

最初の一文は

「名前が嫌い、ねえ」

ですし、そもそもの主人公の過去がこの名前と密接にかかわっていますし。

また、彼の成長譚としての側面では名前をアイデンティティの一部として扱っているようにも見られます。

そして、それをすべて昇華したラストも印象的です。

 

藤井太洋流社会派エンタメ、大変面白かったです。

 

藤井太洋『公正的戦闘規範』

 

 2024年、上海の日系ゲーム会社に勤める元軍人の趙公正は、春節休暇で故郷の新疆へと帰る途上、思いもかけない“戦場”と遭遇する―近未来中国の対テロ戦争を活写する表題作と、保守と革新に分断されたアメリカを描く「第二内戦」という同一世界観の2篇、デビュー長篇『Gene Mapper』のスピンオフ「コラボレーション」、量子テクノロジーが人類社会を革新する「常夏の夜」など全5篇収録の、変化と未来についての作品集。 

 

技術側面は全く分からない。でも面白い。という感想。

長編でもそうなのですが、基本的に小難しい技術描写をストーリーに乗せてかみ砕いてくれるのでなんとなくだけれども分かる。勿論、ストーリーが追えなくなるということはない。

ので、軽い気持ちで読んでも最高に楽しめる作品集です。

ですが、他作品のスピンオフであったり、アンソロ収録作であったりを集めた短篇集なので、どちらかといえば他の作品作品から読んでほしいようにも思います(単体でも十分楽しめる作品ばかりなのですが)。

 

「コラボレーション」

長編『Gene Mapper』と舞台を同じくした作品。

インターネットが崩壊し、それの代替としてトゥルーネットが使われている近未来。主人公の高沢はインターネットの残骸の中に自分が過去に作った〈ソーシャルペイ〉という簡易決済サービスの痕跡を見つけ調べ始めるが……。

完璧には理解し難い専門用語をある程度のレベルで読者が理解できるように砕きつつ、それでいて決して説明過多にならない。そういった長編にみられる良さが現れた作品です。作中にプログラムのテキストが仕込まれているのですが、これが不思議なことに全く分からなくてもおもしろい。また、そこから見せるビジョンもサスペンスも巧い。長編作品と同じようなベクトルの面白さを短編の分量で作り上げた良作。

 

「常夏の夜」

舞台は台風に襲われ復興途中のセブ島。記者である主人公タケシ・ヤシロは復興の様子とそこで開催されたIQCICQ(国際漁師通信計算機学会の取材を進めていた。そこで彼はシンガポール軍の女性士官リンシュン・ウォン少尉とエンジニアのカート・マガディアと出会う。そして、彼はカートから量子アルゴリズム〈フリーズ・クランチ法〉を応用させた文章分岐予測ツールを授かる。

量子コンピューターという先端テクノロジーを使って、災害からの復興を描いた作品です。技術関連の話だけでも分からないなりに非常に面白いのですが、そこでサスペンスとアクションが展開され、果てには人間とテクノロジーの未来を映し出す。もう面白くないわけがない。最後の一文も最高。

 

「公正的戦闘規範」

主人公の趙公正は元テロ行動部隊の兵士で、今は日系ゲーム会社で働いている。彼は、春節の長期休暇に帰省の為列車に乗っていたがその途中でテロに巻き込まれる。そして公正な戦いへと戻すための戦いが始まる。

伊藤計劃トリビュート』が初出。いかにも『虐殺器官』であり、それでいてその逆をいくような作品です。主人公が幼少時、政府から支給されていたスマートフォンでプレイしていた〈偵判打〉というモバイルゲーム。それがこの作品の肝となってくるのですが、この要素の扱い方が非常に上手く、そこから展開されていく戦いの構図も非常に面白い。決して未来に対しての明るさがある作品ではないのですが、それでもやはり、未来に対する力を見せられる。そういうような傑作です。

 

「第二内戦」

探偵ハル・マンセルマンの所にある依頼が飛び込む。依頼者は女性投資技術者のアンナ・ミヤケ博士。流出した裁定取引実行プログラム〈ライブラ〉を取り返すという依頼である。しかし、その流出先は2021年に合衆国から独立したアメリカ自由領邦〈FSA〉であった……。

二つに分断されたアメリカを背景に展開されるハードボイルド(?)。全体的に海外作品っぽい洒落た部分が随所にみられる一方でゴリゴリの技術小説。また、その中で技術者云々の話であったり、それに関連した皮肉な話であったり非常に各所各所が面白い作品。

 

「軌道の環」

木星の大気鉱山の作業中に足を踏み外した地球教徒のジャミラは危ういところを或る船に助けられる。しかし、その船は地球圏を滅ぼす計画の実行部隊の船であったのだった……。

宇宙SF。これまででおそらくもっともスケールの大きい作品。であるのですが、とにかくディティールが凝ってる。計画のスケールの大きさ、そこからの意外な構図は非常に上手いのですが、それのキーとなってくる伏線が非常に上手い。細部でらしさが生きた傑作。

 

連城三紀彦『敗北への凱旋』

 

敗北への凱旋  綾辻・有栖川復刊セレクション (講談社ノベルス)

敗北への凱旋 綾辻・有栖川復刊セレクション (講談社ノベルス)

 

終戦後まもないクリスマスイブ、安宿で片腕の男の死体が見つかった。容疑者の中国人女性・玲蘭は彼の情婦をも殺し、自らも身を投げる。痴情のもつれと見られた事件の背後には、恐るべき陰謀と愛の悲劇が隠されていた。男が残した美しい旋律を手がかりに、戦争に翻弄された男女の数奇な運命が今、明かされる。  

 

傑作です。間違いなく。

今まで読んできた連城作品の中では五本の指に入るぐらいに。

といっても、決して瑕疵がないというわけではありません。それどころか、つつけばつつくほどマイナス点が出てきます。

けれども、やっぱりそういうどこか抜けていて、またどこかぶっ飛んでいる作品が個人的には、この作品が好きですし、連城作品が好きです。

 

個人的には連城の人物造形は良くも悪くも人工物的なイメージを持っています。これは本格で人間が欠けていないという批判のようなものではなく、どちらかといえば逆に人間を書き過ぎて、人間を超えた何者かになっているというようなそういう意味合いです。

例えば、『戻り川心中』なんてその最たる例で、明らかに現実に対応させて考えてみれば絶対にありえない、ぶっ飛んだ奇想を、人間の深層の深層まで掘ることで描き切ってしまった大傑作です。

 

それで『敗北への凱旋』の話に戻りますが、まずとりあえず軽くあらすじを紹介していきたいと思います。

昭和二十三年のクリスマスイブ、横浜で津上芳男という男が射殺される。その二日後、日本人娼婦も殺される。捜査過程で、津上芳男は元ピアニストの元軍人・寺田武史だと判明する。しかし、この二つを三角関係のもつれとして断定した警察は中国人女性・玲蘭の行方を捜すが、彼女は崖から身を投げ、死体も見つからぬまま事件は終わりを迎える。

それから二十数年後、柚木という中堅作家がひょんなことから、寺田武史の生涯を調べ始めるが……。

 

ということです。先に前述の瑕疵から述べておくと、まずメイントリックのうちの一つが前例があり、かつ完全には成功してない(これに関しては連城の他作品などを顧みればある意味、意図していたものだったのかもしれませんが)という点です。

次に、暗号ミステリとしてはあまりにも難易度がぶっ壊れているところです。まず解ける人はいないでしょうし、正直説明されても完璧には理解できないです。

 

なのですが、でもやはり傑作なんです。

まず第一に、連城の文章が非常に上手くあっているという点です。

連城の文章って、確かに美文ではあるんでしょうがどうしても読みにくい部分があるように思っています。初めて読んだ連城作品は『戻り川心中』なのですが、とにかく読みにくかった印象が残っています(その分、衝撃も印象に残っていますが)。

けれども、この作品ではその文章があえかで緻密な内容を象徴しているかのようで、個人的には非常によくマッチしてると思います。それにより、数奇な愛の物語というのがより印象的なものとなっていますし、さらにまたノスタルジーという点でもよくできているように思います。

 

また、これまで読んでいた中で一、二を争うほどに本格魂を感じました。

仕掛け自体は、他の連城作品と大きな差はないのですが、その見せ方がとても面白いです。そもそものこの寺田武史の謎に踏み込む導入からして面白いですし、またそこに絡んでくるある人物の配置の仕方が非常に本格らしさが漂っています。そして、ラストに見せてくれるトリックの複雑さもそれを支える伏線も美しい。

 

とにかく面白い作品です。いかにも連城らしいぶっ飛んだ作品でありながら、美しく抒情的で絢爛かつ繊細。

傑作です。やっぱり。

 

余談として、『敗北への凱旋』が好きな人へのおすすめとして、物憂げな印象だった叔母の生涯の謎を探るという恋愛ミステリ多島斗志之『離愁』(単行本版『汚名』)を上げておきます。