猫の巣

読んだ本の感想など、気の赴くままに。

パオロ・バチガルピ『第六ポンプ』

 

第六ポンプ

第六ポンプ

 

化学物質の摂取過剰のために、出生率の低下と痴呆化が進行したニューヨーク。下水ポンプ施設の職員の視点から、あり得べき近未来社会を鮮やかに描いたローカス賞受賞の表題作、石油資源が枯渇して穀物と筋肉がエネルギー源となっている、『ねじまき少女』と同設定のアメリカを描きだすスタージョン賞受賞作「カロリーマン」ほか、全10篇を収録。数多の賞に輝いた『ねじまき少女』でSF界の寵児となった著者の第一短篇集。

 

粒ぞろいのSF短篇集です。

全編を通して読んだ感想としては、まず非常に汚らしさが強調して描かれているという点です。

この汚らしさは精神的なもの、物理的なもの両方を指しています。

技術的な進歩に伴った物理的な汚れを描き、そこから敷衍させて精神にも踏み込んでいるという風に個人的には感じました。

また、この心理描写も非常に現実の人間っぽい一面を見せながらも、その一方でどこか現実とは違っているような、そういう印象を受けました。

やはり、そういう点を考慮すれば収録作中の個人的ベストは「カロリーマン」か「砂と灰の人々」でしょうか。

以下、各編に関して軽く感想。

 

 

 

「ポケットの中の法」

サイバーパンク的雰囲気漂うデビュー作。舞台は中国成都。路地裏でストリートチルドレンの少年がデータキューブを拾ったところから展開されていく物語。

都市の、かつ物語の、中心に座っている“活建築”が非常に良い味を出しています。非常に濃厚な作品で、全体的に彩度の高い色合い(それこそ表紙みたいな感じの)イメージが連想されるような作品です。また、余韻を残すラストとそれにマッチしたタイトルも非常に良いと思います。

 

「フルーテッド・ガールズ」

身体を楽器にされてしまった姉妹の物語。

耽美でポルノグラフィ、そして果てしなく幻想的。聴覚野と視覚野を同時にくすぐられるような衝撃とフルーテッド・ガールズの身体のような繊細さが共存したような作品で、世評の高さも納得です。

 

「砂と灰の人々」

食糧危機に応じて変化し、砂などを食べて生きていけるようになった人類。そんな中に突然本物の犬がどこからか現れてくるという話。

収録作中では最も設定とストーリーが単純明快。自分たちとは完全に異なり、というかそもそも存在自体がありえない本物の犬による彼らの心理描写が秀逸な作品。ラストの単純には言い表しにくい感じが、人類でありながら人類とは少し違った何かを巧く表せているように思います。

 

「パショ」

主人公はジャイのパショ。彼はケリで十年間勉強しパショとなって帰ってくる。しかしそんな彼を昔ケリと戦争を行った祖父は歓迎せず……。

正直、一回目読んだ時にはイマイチよくわからなかったです。パショ、ケリ、ジャイなどの単語が全く説明なく使われながら物語が進行するため内容を把握しづらい。しかし、ある程度の大筋は十分できるし、もう一度軽く読み直してみると非常に構図が面白かったです。

 

「カロリーマン」

長編『ねじまき少女』と舞台を同じとする作品。

カロリーが主エネルギーとなった世界。そこでは遺伝子特許を持つカロリー企業が市場を独占していた。そんな中主人公のラルジはある遺伝子リッパーを南へと連れてくるべく川の上流へと向かっていたが……。

ディティールの書き込み、ストーリーの面白さに、発想の面白さがコンパクトな分量で詰め込まれた作品。片隅で繰り広げられる物語が、世界に影響を与えるであろうビジョンを見せてくれる傑作です。

 

「タマリスク・ハンター」

水資源が枯渇し始めた世界。その大きな要因が地に根を張り水を大量に吸うタマリスク。主人公はそのタマリスクを伐採することでもらえる報酬で生計を立てるタマリスク・ハンター。

環境問題的側面もですが、この主人公のある行動も非常にリアルで、現実でも類似した話を聞いたことがあるようなものです。そうした現実の延長線上的世界において、非常に小説的に物語をまとめた佳作。

 

「ポップ隊」

技術の進歩による事実上不死を手に入れた人類。それにより出産は禁止されるようになる。そしてそれに違反し、出産、育児を行う人間を取り締まるのがポップ隊で、主人公もその一員。

他の収録作同様、非常に汚さが強調して描かれている一方で、間接的に人間の微妙な心理も描いています。この心理描写に関しては「砂と灰の人々」との共通点を見出すこともできますし、個人的には“らしい”作品なのではないでしょうか(この作品を読んだだけの感想なので見当はずれかもしれませんが)。

 

イエローカードマン」

マレー半島に居住していた華僑がタイのバンコクに追いやられイエローカード難民として暮らしている。主人公もそのうちの一人で、かつては海運業界の大物。そんなところに昔馘にした若者が成功者として現れる。

まず、汚れ切った街と人間社会を描くのが上手い。瘤病であったり魔猫であったりが非常にいい味を出していて読んでいて薄暗い汚らしいイメージが自然と湧き上がってくる。それぞれの言葉の重みであったり、それ起点とした展開も、その奥の人間のいやらしさも克明で印象的な作品。

 

「やわらかく」

アンソロジーに収録されていた作品だそうです。難しい単語をお題にしてそれぞれにそこから物語を作ってもらうというもののようです。

で、バチガルピに与えられたお題はmacerate。正直ストーリー自体はそんなに特筆すべき面白さはないのですが、お題の扱い方は面白かったです。

 

「第六ポンプ」

人類が痴呆化した中で主人公が下水処理システムの整備を行い、故障した第六ポンプを直そうと奮闘する話。

全編に化学物質と人間の知力の低下への警鐘を感じますし、また非常に身につまされる作品でもあります。その一方でアメリカンコメディ的ストーリー展開も非常に面白い作品です。

 

藤井大洋『ビッグデータ・コネクト』

 

ビッグデータ・コネクト (文春文庫)

ビッグデータ・コネクト (文春文庫)

 

 〈サンマル名簿〉という特殊詐欺の捜査を行っていた京都府警サイバー犯罪対策課の万田は、ある日突然ITエンジニア誘拐事件の捜査を命じられる。突然の要請を訝しむ万田だったが、その犯罪の陰に二年前XPウイルスの作成者として取り調べを行っていたものの不起訴となった武岱が潜んでいることを知る。協力者という体裁で武岱の監視を行いながら捜査を進める万田だったが……。

 

藤井太洋の第四長編です。

作者の藤井太洋は、第一作『Gene Mapper』がkindleのセルフ・パブリッシングで年間一位を取り、改稿を経て早川書房から出版、第二長編『オービタル・クラウド』は星雲賞日本SF大賞にベストSF1位、そして現在は日本SF作家クラブの会長、と完全なSF作家で、他の作品はIT色の強い近未来SFという感じなのですが、この作品『ビッグデータ・コネクト』はSF的側面の薄い作品です。

 

まず、物語は取調室から始まります。

主人公の万田英人は京都府警サイバー犯罪対策課の警部。その向かいに座るのはエンジニアの武岱修。彼はXPウイルスの作成者として取り調べを受け続けていたものの、二年間黙秘を続けついに不起訴となった。

そして時間は経ち二年後。万田は特殊詐欺〈サンマル名簿〉の捜査を行っていた。そんなとき、彼は突然ITエンジニア月岡冬威誘拐事件の捜査に当たるよう言われる。〈サンマル名簿〉の捜査途中だった万田はそれを疑問に思い尋ねると、なんとその捜査線上に武岱修の名前が浮上したのというのだ。武岱修に捜査協力を仰ぐ形で監視を行う万田だったが……。

 

というあらすじを読んでみればわかるようにいかにも藤井太洋らしいITが密接にかかわった作品です。

で、この誘拐事件なのですが、犯人から届いた犯行声明によると動機は、現在大津に建設中の官民複合施設〈コンポジタ〉の計画を止めるためということ。この誘拐されたエンジニア月岡は〈コンポジタ〉のシステム設計・開発に深くかかっていた人物です。そして、その犯行声明と同時に送られてきたのが、生活反応のない月岡冬威の切断された親指。

と、非常にミステリファンからしても楽しみなあらすじなのですが、内容もそれに負けず劣らずの面白さです。

 

そもそも、藤井太洋は非常にミステリ的手法が上手く、基本的にミステリとして銘打っていない他作品も、伏線の張り方や真相の見せ方から見ればミステリとしても非常に面白い作品が多いです。

ですから、読む前からミステリ要素に不安はなかったのですが、それにしても面白い。生活反応のない切断された親指を起点にして何転もする展開はとても読みごたえがありますし、また犯人に繋がる手がかりの仕込み方であったり、思いもよらぬところからの繋がりは非常にミステリ的です。

 

ですが、その一方でSF的視点も良い。他作品では、ディストピア的世界において未来に対する希望をITで見出す、そういう作風なのですが、この作品はいうなればそのディストピアの一歩手前。その中で他作品よりもさらに現代に近づいた世界観で、現実の現状と情報管理に対する警鐘、そしてそれに対する活路を官民複合施設〈コンポジタ〉とその開発エンジニアの誘拐事件という形で示しています。

 

様々な視点から見て非常に面白い作品です。SFに対する興味があまりないミステリファンでも楽しめる作品です。

佐野洋『脳波の誘い』

 

脳波の誘い (講談社文庫)

脳波の誘い (講談社文庫)

 

 脳波を送って他人を自殺させることができるという、奇妙な老人が出現。さっ、そく週刊誌の記者が取材に赴いた。世紀の話題か、はたまた変人の世迷言にすぎないのか? だが、取材中に記者が「こんな人を殺せますか」と冗談で話に出した人物が、間もなく不思議な自殺を遂げてしまった! 謎が謎を呼ぶ、傑作推理長編。

 

佐野洋を読むのはこれで四冊目(他は『第六実験室』、『一本の鉛』、『透明受胎』)になるのですが、まあよく言えば安定している、悪く言えば凡庸。

優れた点としては、伏線の巧さとストーリー展開の面白さでしょうか。

 

しかし、ストーリーに関してはこの作品では個人的に少し引っ掛かるところがありました。

それは、導入と結末のずれです。

物語は水崎啓次という記者が出版社の編集部に戻ってくるとろから物語は始まります。彼は脳波を使えるという奇妙な老人の取材を終えて帰ってきたところ。その老人がただ単に精神病だとしてほとんど信じていない水崎でしたが、その老人から彼の著書を出版するよう要求された水崎はある男を脳波の力で自殺させてみるようにいったのです。しかしそれからしばらくして驚きの知らせが。何とその男が自殺を果たしたというのです。これは本当に脳波の力なのか……?

という導入。

しかし、この老人のテレパシーの能力云々は中盤から完全無視され、最終的には全く予想できないような展開を迎えます。

それはそれで確かに面白いのですが、あまりにも導入をぞんざいに扱いすぎです。一応、謎という形として提示したのならばそれに対してある一定以上の検討を行う必要はありますし、それを読者に示す必要もあるように思います。それを流して、全く違う方向に解決を持っていくのはどうかなと思います。

 

しかし、その一方で面白い部分も多々あり、最も見どころなのは犯人の追い詰め方です。この辺に関しては時代性が見られるというか、古めかしいエンタメ的なのですが、意外としっかりと出来ており、読者の視点も忘れることなくつくられているのが好印象です。

また前述の通り、伏線のコンパクトながら明確に犯人を示しており、読者に対しても十分な納得を感じさせる様は最近の作品ではあまり見られない、昭和ミステリらしさを感じさせます。

 

いささか不満点も感じますが、基本的にはコンパクトで手ごろな佳作といったところです。

フランシス・ハーディング『カッコーの歌』

 

カッコーの歌

カッコーの歌

 

「あと七日」意識をとりもどしたとき、耳もとで言葉が聞こえた。わたしはトリス、池に落ちて記憶を失ったらしい。少しずつ思い出す。母、父、そして妹ペン。ペンはわたしをきらっている、憎んでいる、そしてわたしが偽者だという。なにかがおかしい。破りとられた日記帳のページ、異常な食欲、恐ろしい記憶。そして耳もとでささやく声。「あと六日」…わたしになにが起きているの?『嘘の木』の著者が放つ、傑作ファンタジー。英国幻想文学大賞受賞、カーネギー賞最終候補作。  

 

一昨年ファンタジー世界を舞台にしたフーダニットミステリとして評価を得た『嘘の木』の作者フランシス・ハーディングによるファンタジー作品です。

 

物語は、主人公のトリスが目を覚ますところから始まります。彼女はどうやら池に落ちて意識を失っていたらしいものの、記憶が混乱しておりそのことを思い出せない。さらにいくら食べても空腹を感じてしまう。体の異常を感じるトリスでしたが、そんな中、妹のペンが彼女の事を偽物扱い。さらに、彼女の両親はなにやら怪しげな会話をしており、それはトリスを池に落とした犯人かもしれない男の事について。一体、何が起こっているのか……。

 

という話です。邦訳第一作の『嘘の木』がれっきとしたミステリだったのに対して、この作品はミステリといえるかどうかは曖昧なところ。

序盤の両親の会話や妹ペンの言動を謎として見れば、確かに伏線も張ってありますし、ミステリとしての面白さも十分見出すことが出来るのですが、この作品の見どころはそれ以上に、子供視点から見た冒険小説の部分でしょう。

 

もともとこの作品、イギリスでは児童小説として区分されています。なのですが、大人が読んでも十分に面白い。というか、大人だからこそ楽しめる部分があります。

まず、この作品の児童小説らしさを見いだせる点として、オブラートの包み方が挙げられます。全体を俯瞰してみると部分部分に大人たちの利己的な姿や汚らしさに対する批判とも取れる要素が見受けられのですが、これをあくまでお伽話として説明しています。大人たちのせいで不利益を被ってしまう子供たちをそのままに描くのではなく、その子供たちが、自身のアイデンティティを持ち、懸命に生きようとする姿を描くことで、この物語自体が汚く、暗くマイナスな要素を含んだものに見せないようになっています。そういう点で非常にファンタジーとして上手くできています。

 

次に、前述した大人だからこそ楽しめる部分についてなのですが、これは『嘘の木』についても同様の事が言えるのですが、子供との視点の違いです。

この作品は前述したとおり冒険小説的色合いの強い作品です。さらに主人公はまだ子供。となれば、必然的に子供は主人公の視点と同じ視点で見るようになります。ですが、大人はもっと客観的な視点で見る形になります。そうすると、主人公のトリスの姿については子供たちよりも大人の方がより詳しくみられることになります(子供は主人公視点で見るのですから、主人公=自分については客観的視点よりは見られることが少なくなります)。ただ、その一方で過去の自分と重ね合わせて読むことで主人公視点で読むこともできます。そうすると、客観的姿勢よりもサスペンスとストーリー展開自体を楽しめるようになります。

 

だからこそ、この物語は子供のためだけでなく、大人たちのための物語でもあり、ファンタジーというフィクションでありながら、決してそこで終わることのない、現実とも地続きで、けれども物語のわくわく感を、未知のものに触れる楽しさを教えてくれる、そういう作品です。

必読の傑作です。

 

 

 

小川哲『ユートロニカのこちら側』

 

ユートロニカのこちら側 (ハヤカワ文庫JA)

ユートロニカのこちら側 (ハヤカワ文庫JA)

 

 巨大情報企業による実験都市アガスティアリゾート。その街では個人情報―視覚や聴覚、位置情報等全て―を提供して得られる報酬で、平均以上の豊かな生活が保証される。しかし、誰もが羨む彼岸の理想郷から零れ落ちる人々もいた…。苦しみの此岸をさまよい、自由を求める男女が交錯する6つの物語。第3回ハヤカワSFコンテスト“大賞”受賞作、約束された未来の超克を謳うポスト・ディストピア文学。 

 

全ての個人情報の提供と引き換えに豊かで安全な生活が保障されるアガスティアリゾートという都市とそれに対する人々の動きを描いたディストピアSFです。

まず最初に感じたのが登場人物の気持ち悪さです。これは、否定的な意味合いではなく、どちらかといえば作者の意図に沿えば必然的な物であるようにも思えます。

それで、この気持ち悪さについてなのですが、その最も大きな要因と思われるのが、登場人物の役割です。例えば、第一章ではアガスティアリゾートへの移住を望み続け、ついに夢がかなった夫婦をえがいているのですが、ここでの主題は、すべてが他人に監視されている状況での人間の意識であったり、思考であったりです。ここで、描こうとしてるのはあくまで人間の心理、つまり内的な部分であり、決して外的な肉体的なものではありません。他にも、最終章では、宗教についても絡めて書いてあるのですが、ここでも人間は宗教思想よりも弱い、一方的に支配される存在として描かれています。

ここからわかるように、登場人物自体の役割は、人間の精神に焦点を当てるときに必要となる外枠という色が強いです。

 

もう一つこの作品について、感じたのは対比効果の多用です。

例えば、作品の根幹にかかわる設定部分においてでは、アガスティアリゾートとそれ以外や、アガスティアリゾート肯定派と否定派です。

前者に絡む内容として、アガスティアリゾート内外の人間の思考における対比の構図が挙げられます。

それを作品自体への応用として見て取れるのが第三章です。ここで描かれている登場人物は良くも悪くも非常に典型的な、それこそその辺の小説やドラマを見たら必ずありそうな感じの人物像です。これは他の章で登場するアガスティアリゾートに居住することで思考をしなくなった人間のちょうど真逆の存在でありながら、また彼らの元の姿でもあります。こうした人物像を用いることでより、アガスティアリゾートの人間の思考に対する影響力を強調して描くことに成功しています。

そこに関して面白い点が第四章です。ここで描かれる人物像はどちらかといえば、フィクションよりも現実に近いような人物像なのですが、そうであるにもかかわらずひじょうに気持ち悪い。それまでの人間がある特別な影響下であったために変化してしまった一般人であったのに対し、何かが元から違う、他の人間と同じ枠で区切ることのできない異常さを垣間見せる人間を演出しています。

この構造は、ある二つの対比するものを書き、その後にそのどちらにも属さない例外を描く、という決して珍しいものではないのですが、演出方法により、印象深く感じました。

 

正直なところエンターテインメント的面白さは薄いのですが、硬質な文章とそれに合致した硬い内容は非常に面白かったです。二作目の『ゲームの王国』も読みたいと思います。

トマス・フラナガン『アデスタを吹く冷たい風』

 

風が吹き荒さぶ中、闇を裂いてトラックがやってきた。運転する商人は葡萄酒を運んでいると主張する。だが職業軍人にして警察官のテナント少佐は、商人が銃の密輸人だと直感した。強制的に荷台を調べるが、銃は見つからずトラックは通過してゆく。次は必ず見つけて、武器の密輸入者は射殺する…謹厳実直の士、テナントがくだした結論は?「復刊希望アンケート」で二度No.1に輝いた7篇収録の名短篇集、ついに初文庫化。  

 

ポケミス復刊アンケートで二度一位を取り満を持しての復刊、という時点でもうすでに評価の固まっているような作品ですが、個人的には大傑作というほどではなく、本格から奇妙な味までバラエティ豊かな粒ぞろいの短編集という印象です。

以下、各々に関して軽く感想を書いていきます。

 

「アデスタを吹く冷たい風」

武器の密輸方法というhowを扱った作品です。細かな伏線に裏打ちされた、盲点を突く真相もさることながら、それと連動して様々な事象にみられる反転も印象的な佳作です。

 

「獅子のたてがみ」

傑作。アメリカ人スパイの射殺事件に関してテナント少佐が審問を受ける、という作品です。印象的な仕掛けとそれに対して伏線的に働いている意外な事柄も非常に優れていますが、それと同時に審問の進行とともにだんだんと明らかになっていくシニカルなネタも面白い作品です。

 

「良心の問題」

ドイツの捕虜収容所で5年暮らした男が殺される、という話。ピリッと効くトリックも非常に魅力的ですが、そこから明らかになる過去の物語とあくまで表面からしか語られないテナント少佐の思考が垣間見える点は見どころです。

 

「国のしきたり」

表題作同様、密輸のhowを主眼にした作品です。トリックは面白いのですが表題作と比べるとやはり目劣りする印象で、読み終わって一週間ほど経った今感想を書いているのですが、ほぼ内容を忘れてしまっているような、いささか他と比べるとインパクトに欠ける作品です。

 

「もし君が陪審員なら」

これまでとは打って変わって奇妙な味。全体的に意外性はなく、インパクトに欠けるのが残念な点ですが、非常に基本に忠実なお手本的作品です。

 

「上手くいったようだわね」

やはり「もし君が陪審員なら」同様、インパクトには欠けるのですが、そこに至るプロセスが非常に面白く、最後の結末を導くある要素が非常に上手い作品です。

 

「玉を懐いて罪あり」

15世紀のイタリアを舞台にした歴史ミステリです。H・S・サンテッスン編『密室傑作選』に「北イタリア物語」として取られている作品です。非常に傑作と名高い作品なのですが、個人的には伏線となっている箇所に違和感を感じてしまい、世評ほど楽しめませんでした。ですが、真相のインパクトは大きく、一読の価値ありの秀作です。

藤井太洋『オービタル・クラウド』

 

 

 

流れ星の発生を予測するWebサービス〈メテオ・ニュース〉を運営するフリーランスのWeb制作者・木村和海は、衛星軌道上の宇宙ゴミ(デブリ)の不審な動きを発見する。それは国際宇宙ステーション(ISS)を襲うための軌道兵器だという噂が、ネットを中心に広まりりつつあった。同時にアメリカでも、北米航空宇宙防衛軍(NORAD)のダレル・フリーマン軍曹が、このデブリの調査を開始した。その頃、有名な起業家のロニー・スマークは、民間宇宙ツアーのプロモーションを行うために自ら娘と共に軌道ホテルに滞在しようとしていた。和海はある日、イランの科学者を名乗る男からデブリの謎に関する情報を受け取る。ITエンジニアの沼田明利の助けを得て男のデータを解析した和海は、JAXAに驚愕の事実を伝えた。それは、北米航空団とCIAを巻き込んだ、前代未聞のスペース・テロとの闘いの始まりだった──電子時代の俊英が近未来のテクノロジーをリアルに描く、渾身のテクノスリラー巨篇! 

 

『SFが読みたい!』1位、星雲賞日本SF大賞の三冠を取った作品。

もうすでに評価が固まっているような作品なので、今更書くことはないようにも思いますが、ぼちぼちと書きたいと思います。

 

舞台は2020年。流れ星の予測を行うWebサイト〈メテオ・ニュース〉を運営している木村和海は、ある日イランが打ち上げたロケットブースターの二段目“サフィール3”が大気圏に落下することなく、それどころか逆に高度を上げていることに気付く。その謎を解明すべくITエンジニアの沼田明利の手を借り、“サフィール3”の解析を始めるが……。

 

あらすじでは、木村和海が物語の中心になって進行していくように書かれていますが、序盤はJAXAやNOARD(北米航空宇宙防衛司令部)、CIA、セーシェルのアマチュア天文写真家にテヘラン工科大学、はたまた北朝鮮のスパイ、さらには宙旅行を行う実業家、と様々な視点で、物語が進行していきます。

これに関しては正直なところ、読んでいて全部を把握しづらく、またそれぞれの専門用語が理解しにくいため辛いところがあります(とは言っても、話自体は非常に面白いので決して退屈はしません)。

しかしながら、それは上巻の200ページぐらいまでで、そこからはすべての視点が一つの物語としてつながるので非常に読みやすくなります。

この繋ぎ方が非常に上手く、展開も派手になるのでとても面白い。またそこに巧みに伏線も仕込むことで効果的な物語の演出もなされています。

 

この作品の大きな見どころとして、文章と物語の符合が挙げられると思います。

読んでみたら非常によくわかるのですが、文章が全体的に国内作品というよりも海外作品的です。ユーモアはもちろん、話の展開のさせ方や地の分の使い方にそうした特徴がみられるように思います。ですから、最終的には全世界を舞台に繰り広げられ、果ては大気圏を飛び越してしまう、壮大なスケールが非常に納得感の行くものとなるとともに、国際色の豊かな登場人物たちがより映えるようになっています。

 

また、そのほか大きな特徴として挙げられるのが、登場人物全員が常人以上に優秀であるという点。

物語の進行をより円滑にし、読者にストレスを与えないとともに、全体の能力のアベレージを上げることで、非現実的な人物造形も納得のいくものとなっています。また、それを伏線的に扱ってもいますし、かつ前述のようないくつもの物語の繋がりがより印象的になり、描かれていない以上の物事を読者に想像させるような形になっています。

しかし、そうした理知的で人間的な側面をほとんど帯びていないように見える天才たちを描く一方で彼らに人間臭い側面も描いています。本筋とも密接にかかわっている天体を使って、非常に明らかな形で、単純な論理では示せない人間の感情を書ききっています。

 

壮大なスケールと派手な展開の一方で、細部も完璧に詰め、効果的な技巧の光るエンターテインメント作品です。傑作。