猫の巣

読んだ本の感想など、気の赴くままに。

馳星周『蒼き山嶺』

 

蒼き山嶺

蒼き山嶺

 

元山岳遭難救助隊員の得丸志郎は、残雪期の白馬岳で公安刑事・池谷博史と再会した。二人は大学時代、山岳部で苦楽をともにした同期だった。急遽、白馬岳山頂までのガイドを頼まれた得丸が麓に電話を入れると、警察に追われた公安刑事が東京から逃げてきている、という話を聞かされる。厳しい検問が敷かれ、逃げるには山を越えるしかないと言われたその時、池谷が拳銃の銃口を押しつけてきた―。 

 

定番でありながら、演出の良さで映えている技巧が多くみられた所感です。

例えば、同じセリフを多用するというもの。より読者の印象に残りやすくするためによく見られるものですが、そこに加えて登場人物にそのセリフに基づいた矛盾した行動を起こさせることでより記憶に残そうとしているのが見られます。

 

また、前半部分において現在のパートと過去パートを交互にする構成も非常に効果的に使われています。

特に巧いなと思った部分だと、現在パートで得丸が池谷に含みのあるいい方をしたシーンの後に過去パートでそのセリフが意味するところを示す、というもの。

普通ならば、まず過去の話を書いてからそこに繋がる現在のシーンを描きますが、これを倒置させることで、その含みのある言い方に対する違和感でより読者を引っ張りやすくなりますし、またそのセリフの印象も濃くすることが出来ます。

 

この作品をミステリたらしめているもの。それは、物語の求心力ともなっている「なぜ池谷は公安から逃げ日本海を目指しているのか」という謎です。

けれども個人的には、この謎自体よりもこの謎に付随した周辺の方が面白いと思っています。

一番は伏線の扱い方です。

普通ならば、伏線は登場人物たちにとっても、読者にとっても“手がかり”として扱われるものですが、この作品ではあえて登場人物たちに“手がかり”として使わせていません。これによって登場人物は謎解きにおいて、回顧するような形になりますし、それと同時に読者も感傷に浸る、ということになります。

 また、真相の解明が終わった後で過去パートから伏線を引っ張りこんでくる点も面白いです。

読者には与えられていない、登場人物にとってのみの伏線をつくることで、読者と作中人物の真相に対する認識レベルの差異をつくりあげ、読者をあえて登場人物よりも一段階引いた俯瞰的な視点に置かれる、それによってより作品を映像的にしています。

 

とまあ、褒め過ぎなくらいに褒めたのですが、やはり定番っちゃ定番な部分も多く、どうしても作品の向こう側に作者の技巧が垣間見えてしまえてしまいます。

なので分かり切っていたも楽しめる、そういう人が楽しんでほしい良作です。