猫の巣

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エド・マクベイン『キングの身代金』

キングの身代金 (ハヤカワ・ミステリ文庫 13-11)

キングの身代金 (ハヤカワ・ミステリ文庫 13-11)

 

グレンジャー製靴会社の重役キングは、事業の不振を利用して会社の乗っ取りを画策していた。必死に金を都合し、長年の夢が実現しかけたその時、降って湧いたような幼児誘拐事件が起こった!しかも、誘拐されたのはキングの息子ではなく、犯人は誤って彼の運転手の息子をを連れ去ったのだ。身代金の要求は五十万ドル。キングは逡巡した。長年の夢か、貴重な子供の生命か……誘拐事件に真っ向から取り組んだシリーズ代表作。

 

グレンジャー製靴会社の重役であるキングは同じく重役であるジョージ・ベンジャミンから経営不振の原因である現社長を追い出そうと提案されます。しかしながら彼はそれを断ります。それは彼も同様の計画を画策していたから。そのために彼は七十五万ドルもの大金を長い時間をかけ集めていた。そんなときに誘拐事件が起こる。誘拐されたのは、彼の息子ではなく、運転手の息子。身代金は五十万。キングはそれまでの努力を水の泡にしそれ以降の人生もすべてなげうって子供の命を救うのか、それとも子供を見殺しにして計画を遂行するのか。

 

もしもキングが身代金を払ったら、計画は失敗。ベンジャミンが彼を追いだし、彼のキャリアはそこで終わり、今のような生活は望めない。

はたまた、彼が身代金を払わなかったら、人質の子供は死に、彼は人殺しのレッテルを張られる。

このジレンマがこの作品の見どころです。

 

キングは努力をし、ここまで金を集めてきた、それに引き換え人質の父親である運転手は払えるような金もなく、息子の誘拐を知っても茫然としているだけ。

彼の努力を彼自身のために使おうとすることが間違いとされる状況というのがあまりに秀逸。

 

またここで巧いのが作者が、どちらが適当であると考えているかを見せていない点です。

キングのそれまでの苦労や努力を描きまたその一方で、子供の命を主張する人物も配置させる、そうすることで非常に解釈の幅を広げています。

 

つまり、身代金を払うことが正当であるという場合の意味するところは、簡単で金<命です。お金よりも人の命が大切、という話です。

逆に、身代金を払わないことが正当であるとすると、道徳という武器を多数が使うことで、普通ならば“正しい”はずの事を“間違い”にしてしまうというものになります。

 

はっきりどちらかという思想を見せれば一気に作品は薄っぺらく、説教臭いものになってしまいますが、それを巧くぼかすことで読者に判断を委ね娯楽作品としての状態を維持しています。

 

また、その一方で犯人側において、人間の善と悪の葛藤も描いています。

人間が何を以って善と悪を識別しているのか、自分の利益と道徳のどちらを尊重するのか、といったもの。

しかしどうしても本筋と比べると弱いですし、少しちぐはぐな印象も受けます。

 

ミステリ、警察小説要素は薄いです。警察の捜査も描かれるには描かれますが、しっかりとしたものではないですし、ミステリ的な見どころも特にないです(身代金の受け渡しとか犯人の追い詰め方とかには全く創造的なところもないです)。

 

舞台設定は優れていますし、面白い作品だとは思いますが、ミステリ警察小説的な観点から見てお勧めはしません。