猫の巣

読んだ本の感想など、気の赴くままに。

宮内悠介『盤上の夜』

 

盤上の夜 (創元SF文庫)

盤上の夜 (創元SF文庫)

 

 彼女は四肢を失い、囲碁盤を感覚器とするようになった―。若き女流棋士の栄光をつづった表題作をはじめ、同じジャーナリストを語り手にして紡がれる、盤上遊戯、卓上遊戯をめぐる6つの奇蹟。囲碁、チェッカー、麻雀、古代チェス、将棋…対局の果てに人知を超えたものが現出する。デビュー作品集ながら直木賞候補となり、日本SF大賞を受賞した、2010年代を牽引する新しい波。 

 

紛れもない傑作です。

 

盤上遊戯、卓上遊戯を通して、言語を超えた何か、“何か”という言葉以上では表せない何かを描いた傑作六編を収録した最高級の短編集です。

 

冲方丁の解説の一文が非常に良かったのでごちゃごちゃ書く前に取り合えず引用しておきます。

たった六編。それだけで宮内悠介は、遥かなる地平に辿り着いてしまった。

 

 

この“何か”を極めて敢えて言語に押し込めて表現するなら抽象的概念でしょう。それを決して直接的に描かず、少しずつ少しずつ周りを固めていくことで、作品を読み終えたそのときに、曖昧ながらもそのビジョンを見せてくれます。

 

その手法として、ジャーナリストという極めて三人称的な一人称に仮託するという形をとっています。。

この場合、各々の情報が断片的なものとして、つまり流れのない、物語性を帯びていないというものに十分になり得るのですが、それをあくまでも物語として創っているという点が見どころです。

例えば、巻頭の表題作「盤上の夜」は灰原由宇という四肢欠損の少女の天才女流棋士としての姿を描いたものですが、注意深く読むと分かるように作中突然に話の転換がなされているところがいくつも見られるのですが、それらはあくまでも物語の一部として存在しています。灰原由宇と彼女の世話をした相田九段の話をしていたかと思えば、灰原由宇の過去の話に。過去の話をしていたかと思えば、相田九段のインタビューに。と話をどんどん変えていきながらも、各々の中核には灰原由宇の姿があり、彼女の過去、現在、未来の流れをあくまでも読者に繋げさせ、補完させています。だからこそ読者は情報量の多いながらも滑らかな文章を楽しみながらも、自分が物語に於いての一介の役割を持っているように感じ、より物語に浸ることになります。

 

ある極地を描ききるとともに、そこに必ず物語としての熱量も内包させているという点もこの作品の見どころの一つです。

ですからやはり収録作中のベストはチェッカーを題材に、人間とコンピューターの知性とそれを超えた向こう側にある本質を描いた「人間の王」になります。

マリオン・ティンズリーというチェッカーの天才とシヌークというプログラムの戦いとチェッカーの完全解。ティンズリーは何を考え何を感じ何と戦っていたのか。そういうあまりにも漠然とした問いに対する答えをこの作品を通して示し、そしてその先に壮大なビジョンをぼんやりと写しながら、深い余韻を与える名編です。

そうした抽象的な姿を非常にはっきりとした形で見せた作品が「千年の虚空」「原爆の局」、少し変則的な形をとったのが「象を飛ばした王子」です。

歪な家族像を通して“ゲーム”を抽象的に描いた「千年の虚空」、原爆投下のその日、広島で行われた対局を背景にそれまでの五編をすべて一つの抽象と世界として表した「原爆の局」、具体と抽象を対比的に表現しながらも同一視しチャトランガの想像を描いた「象を飛ばした王子」。

 

そしてホワイダニットミステリ的に人知を超えた麻雀対局を描いた「清められた卓」です。新興宗教の教祖、その元カレ、プロ雀士、天才少年の対局の中であまりにも不可解な教祖の行動の謎を解くミステリなのですが、そ戸で敢えて物語の枠を取り去った点が非常に面白いところです。あくまで、謎→手がかり→解決という手順を踏んでいながらもそれを解決で終わらせるのではなく、そこに抽象的概念を示すことで物語として、というか作品という形で終わらすことはしていません。歪でありながらジャンルの枠を超えた、エンターテインメント的興味を含みながらも作品集のコンセプトにも合致した佳作です。

 

傑作です。すべて。読んでください。全力でおすすめです。