猫の巣

読んだ本の感想など、気の赴くままに。

ボストン・テラン『音もなく少女は』

 

音もなく少女は (文春文庫)

音もなく少女は (文春文庫)

 

 貧困家庭に生まれた耳の聴こえない娘イヴ。暴君のような父親のもとでの生活から彼女を救ったのは孤高の女フラン。だが運命は非情で…。いや、本書の美点はあらすじでは伝わらない。ここにあるのは悲しみと不運に甘んじることをよしとせぬ女たちの凛々しい姿だ。静かに、熱く、大いなる感動をもたらす傑作。 

 

聾者の少女とその周辺の女性たちの戦いを描いた小説です。

まず、主人公は耳の聞こえない少女イヴ。彼の父親ロメインはアパートの管理人をしながら裏で麻薬の密売をしていて、また今でいうDV夫。何か気に入らないことがあれば、すぐに妻のクラリッサを焼却室に閉じ込める。

イヴとクラリッサはロメインにおびえながら暮らしていたある日、手話を解する孤高の女性フランと出会います。そして、戦いの物語が始まります。

 

所謂、絶望の中に光を見出す物語なのですが、大きな見どころとして絶望の描き方が上手い。

ストーリーの大まかな流れ自体は特別複雑でも、珍しくもないのですが、絶望の度合いが非常に大きいため、物語の展開ではなくてそれよりもっとも本質的な部分での、緩急が効果的についています。

つまり、一般的な作品よりも、絶望と希望の差が大きなものとして描かれているため、より印象に残るものとなっています。

また、構成に関しても色々と上手く練られていて、例えばフラン--イヴとイヴ--ミミの相似形に関してはネタバレのラインが分からないので書きにくいのですが、読者に印象を残させるためのシーンを映えさせるような演出が多くみられます。

 

と、面白い点は色々とあるのですが、正直なところ個人的にはあまり刺さりませんでした。

この辺に関しては自分の偏見がどうしても混ざってしまっているようで申し訳ないのですが、その大きな理由として悲劇に関する人工物的な、というかフィクション的な雰囲気です。

例えば、父親であるロメインが狡賢く立ち回ったことで害を被るのを避け、その結果イヴが害を受けるシーンにおいて。

その時に地の文において、そのイヴに降りかかった不幸の理由を耳聾としていました。

明らかにそのエピソードには直接的に関係していないにも関わらずそういう記述がなされており、そこからどうしても聾者=不幸みたいなニュアンスを暗に示しているような印象を受けました。

また、これは訳か原文かどちらが原因なのかは分からないのですが、動作主の表記がおかしな部分がいくつか見られました。

つまり、それまでは動作主として描かれていた、その章で話の中心として描かれている人物が突然、目的語に変わっている部分が見られたということです。

ここは結構重要な部分で、受動態か能動態かの違いだけでそのシーンの意味合いがまるっきり変わってくるので違和感が残りました。

全体的に地の文の役割が良くわからず、正直なところ、フィクション色合いが大きいように感じストーリーとの乖離を感じました。

 

個人的にはあまりピンとこなかったのですが、世評も高い作品ですしまた再読してみたいと思います。

ウィリアム・モール『ハマースミスのうじ虫』

 

ハマースミスのうじ虫 (創元推理文庫)

ハマースミスのうじ虫 (創元推理文庫)

 

風変わりな趣味の主キャソン・デューカーは、ある夜の見聞をきっかけに謎の男バゴットを追い始める。変装としか思えない眼鏡と髪型を除けばおよそ特徴に欠けるその男を、ロンドンの人波から捜し出す手掛かりはたった一つ。容疑者の絞り込み、特定、そして接近と駒を進めるキャソンの行く手に不測の事態が立ちはだかって…。全編に漲る緊迫感と深い余韻で名を馴せた、伝説の逸品。

 

 

 こういう〈クライム・クラブ〉のの中から一本選ぶと選ぶとすれば何にすべきか、大いに迷うのだが、やはり、第23巻のウィリアム・モールの長編『ハマースミスのうじ虫』(1955)でいきたい。地味な作品だから文庫化もされず(この先もされる気配はない)、絶版で気が引けるのだが、これはミステリ的面白さを超えた何かを持っている小説だと思うからである。(瀬戸川猛資『夜明けの睡魔』)

  

瀬戸川猛資の「ミステリ的面白さを超えた何か」という評はまさにぴったりでこれ以上の事はかけないように思うのですが、軽く書いていきます。

 

ワイン商であるキャソン・デューカーはある日人見知りの銀行家が暴飲しているところを見かけます。普段は一定量以上を飲まない彼の暴飲を訝り、事情を聴くことに。そうすると、彼はバゴットという男に、ありもしない、けれども否定のしようがないことで脅迫され、金をとられたというのです。そこで正義感に燃えたキャソンはバゴットを見つけだそうとし始めます。

こういういわば、素人探偵ものです。なのですが、捜査というよりは、バゴットを追い詰めるサスペンス的なものです。

ほぼ全編が、犯人VS素人探偵という構図になっています。

 

で、この作品の面白さはまず、過程の面白さです。

個人的には英国ミステリの中盤の単調さがあまり好きではないのですが、この作品は非常に楽しめました。

サスペンスとは言ったものの、決してハイペースではなくむしろ遅いぐらい。けれどもユーモアセンスの良さ、キャラクターの面白さからか、決して退屈さを感じることはありませんでした。

また、心理描写も程よくアクセントとして効いており、決して犯人を典型的な人非人扱いをすることなく、あくまで悪が表出してしまった一般人的な描き方をしている点も見どころです。

おそらくそれも一因だと思うのですが、あらすじだけを見てみるとなんとなく卑しく、汚らしい物語に思えるのが、あくまで英国的な高貴さを失わない優れた文学作品的な香りを纏ってるものとなっています。 

 

そして、素晴らしいのがラスト。それまでの高貴な文学作品としての流れを受けながらも、少し人間臭く、印象的なものとなっています。

ミステリ的側面から見ても面白く、同じような構成の作品を読んだことはあるのですが、ここまでうまく使えて歯いなかったように思います。

 

ということで、ぜひとも読んでほしい佳品です。

宮内悠介『盤上の夜』

 

盤上の夜 (創元SF文庫)

盤上の夜 (創元SF文庫)

 

 彼女は四肢を失い、囲碁盤を感覚器とするようになった―。若き女流棋士の栄光をつづった表題作をはじめ、同じジャーナリストを語り手にして紡がれる、盤上遊戯、卓上遊戯をめぐる6つの奇蹟。囲碁、チェッカー、麻雀、古代チェス、将棋…対局の果てに人知を超えたものが現出する。デビュー作品集ながら直木賞候補となり、日本SF大賞を受賞した、2010年代を牽引する新しい波。 

 

紛れもない傑作です。

 

盤上遊戯、卓上遊戯を通して、言語を超えた何か、“何か”という言葉以上では表せない何かを描いた傑作六編を収録した最高級の短編集です。

 

冲方丁の解説の一文が非常に良かったのでごちゃごちゃ書く前に取り合えず引用しておきます。

たった六編。それだけで宮内悠介は、遥かなる地平に辿り着いてしまった。

 

 

この“何か”を極めて敢えて言語に押し込めて表現するなら抽象的概念でしょう。それを決して直接的に描かず、少しずつ少しずつ周りを固めていくことで、作品を読み終えたそのときに、曖昧ながらもそのビジョンを見せてくれます。

 

その手法として、ジャーナリストという極めて三人称的な一人称に仮託するという形をとっています。。

この場合、各々の情報が断片的なものとして、つまり流れのない、物語性を帯びていないというものに十分になり得るのですが、それをあくまでも物語として創っているという点が見どころです。

例えば、巻頭の表題作「盤上の夜」は灰原由宇という四肢欠損の少女の天才女流棋士としての姿を描いたものですが、注意深く読むと分かるように作中突然に話の転換がなされているところがいくつも見られるのですが、それらはあくまでも物語の一部として存在しています。灰原由宇と彼女の世話をした相田九段の話をしていたかと思えば、灰原由宇の過去の話に。過去の話をしていたかと思えば、相田九段のインタビューに。と話をどんどん変えていきながらも、各々の中核には灰原由宇の姿があり、彼女の過去、現在、未来の流れをあくまでも読者に繋げさせ、補完させています。だからこそ読者は情報量の多いながらも滑らかな文章を楽しみながらも、自分が物語に於いての一介の役割を持っているように感じ、より物語に浸ることになります。

 

ある極地を描ききるとともに、そこに必ず物語としての熱量も内包させているという点もこの作品の見どころの一つです。

ですからやはり収録作中のベストはチェッカーを題材に、人間とコンピューターの知性とそれを超えた向こう側にある本質を描いた「人間の王」になります。

マリオン・ティンズリーというチェッカーの天才とシヌークというプログラムの戦いとチェッカーの完全解。ティンズリーは何を考え何を感じ何と戦っていたのか。そういうあまりにも漠然とした問いに対する答えをこの作品を通して示し、そしてその先に壮大なビジョンをぼんやりと写しながら、深い余韻を与える名編です。

そうした抽象的な姿を非常にはっきりとした形で見せた作品が「千年の虚空」「原爆の局」、少し変則的な形をとったのが「象を飛ばした王子」です。

歪な家族像を通して“ゲーム”を抽象的に描いた「千年の虚空」、原爆投下のその日、広島で行われた対局を背景にそれまでの五編をすべて一つの抽象と世界として表した「原爆の局」、具体と抽象を対比的に表現しながらも同一視しチャトランガの想像を描いた「象を飛ばした王子」。

 

そしてホワイダニットミステリ的に人知を超えた麻雀対局を描いた「清められた卓」です。新興宗教の教祖、その元カレ、プロ雀士、天才少年の対局の中であまりにも不可解な教祖の行動の謎を解くミステリなのですが、そ戸で敢えて物語の枠を取り去った点が非常に面白いところです。あくまで、謎→手がかり→解決という手順を踏んでいながらもそれを解決で終わらせるのではなく、そこに抽象的概念を示すことで物語として、というか作品という形で終わらすことはしていません。歪でありながらジャンルの枠を超えた、エンターテインメント的興味を含みながらも作品集のコンセプトにも合致した佳作です。

 

傑作です。すべて。読んでください。全力でおすすめです。

藤井太洋『Gene Mapper -full build-』

 

Gene Mapper -full build-

Gene Mapper -full build-

 

 拡張現実が広く社会に浸透し、フルスクラッチで遺伝子設計された蒸留作物が食卓の主役である近未来。遺伝子デザイナーの林田は、L&B社のエージェント黒川から自分が遺伝子設計した稲が遺伝子崩壊した可能性があるとの連絡を受け原因究明にあたる。ハッカーのキタムラの協力を得た林田は、黒川と共に稲の謎を追うためホーチミンを目指すが―電子書籍個人出版がたちまちベストセラーとなった話題作の増補改稿完全版。

 

拡張現実と遺伝子工学を扱ったSFです。

 

主人公は遺伝子デザイナー[gene mapper]の林田。ある日、彼が遺伝子設計した〈蒸留作物〉である稲が突然変色し始める。この稲の遺伝子情報に不審さを覚えた林田はその謎を探るべく、サルベージャーであるキタムラの協力を得るべくホーチミンへと渡るが……。

舞台設定は2036年。二十年ほど前にインターネットが崩壊し、その代替品としてトゥルーネットが使われているという設定。けれども、トゥルーネットには限られた情報しかなく、二十年以上前の情報を得るためにはインターネットを使うしかない。ここで活躍するのが崩壊したインターネットから情報をサルベージしてくるサルベージャーです。

 

まず巧いのと思ったのはSFガジェットの使い方です。

序盤から出ていたガジェットが深く本筋に関係してくるとともに、物語を盛り上げる材料となっています。

またそこに関してミステリ的手法が用いられています。

その手法というのが伏線の張り方です。

ミステリではよく使われるのですが、真相へと導く伏線とともにレッドへリングも仕込むというものです。このレッドへリングの処理の仕方としてユーモアを使います。ラストのラストでそれまで放置していたレッドへリングをただのレッドへリングではなく、ちゃんと伏線として生かすことで、ミステリ的な興味とともに物語のまとまりも良くすることが出来ます。

とまあ、それがどういう風に使われているのかというのは読んでみてほしいのですが、これがあくまでSFのステージ上で使われているというのが見どころです。

 

また終盤ではそれまでと少し違った要素を入れ込むことで読者が飽きないようにできています。

ここで、それまでに一度終わらせた事象を使うことで読者の想像よりも一歩進んだところで物語を展開していますし、またこの場面にある事柄の解決を委ねることでよりサスペンスを演出しています。

 

読み心地も非常に良く、エンターテインメント性に富んだ良作です。

若竹七海『水上音楽堂の冒険』

 

高校卒業を目前に控えた新井冬彦は昨年の九月に起こした交通事故の後遺症と思われる記憶混乱に悩まされていた。幼馴染の中村真魚坂上静馬に心配されながらも無事大学受験を終えた冬彦だったが、そんなある日高校の水上音楽堂で殺人事件が発生する。容疑者として疑われている静馬の無実を証明するため、捜査を始める真魚と冬彦だったが……。

 

若竹七海の長編第二作ながらいまだに文庫化されていない作品です。

その理由は読んでみれば明らかで、差別用語が多用されており、またそれが本筋において非常に重要な役割を果たしているからでしょう。

 

長編第二作、連作短編集であるデビュー作を含めても三作目であるためか、やはり全体的な拙さは否めず、場面転換であったり、会話であったり、違和感を感じさせる部分が(主に序盤に)いくつか見られました。

 

内容についても序盤はやはり分かりにくく、冬彦の昨年の九月の事故による後遺症の検査云々の話は正直理解しにくいですし、いじめっ子である石橋と冬彦の会話なんかも意味不明な部分が見られます(一応説明はなされますが納得は行き難い)。

ミステリとしての見どころは密室の成立の仕方(作中で密室という表現はなされませんが広義で捉えれば充分密室)でしょう。

密室において重要になるのが冬彦の記憶で、彼は裏口に立っていたものの、記憶混乱により自分の記憶が正しいのかどうかが分からず、もしかしたら真犯人が死体を目の前で運んだかもしれない、というものです。

ただしかし、この謎に対するアプローチは密室もの的なものではないですし、またミステリ的にその謎以上の何かがあるわけでもないです。

伏線の張り方も、気概だけは感じられるものの、やはり甘さが感じられるものとなっています。

 

この作品の最も大きな見どころは“青春”要素です。

暗い青春ミステリといえば西澤保彦の『黄金色の祈り』や米澤穂信の『ボトルネック』がよく挙げられますが、時たまそれと並んで評されるのがこの作品です。

ということなのですが、やはりそんなインパクトの大きなブラックさではないように思います。個人的に感じたこの作品の一番の暗さというのは最終章で示唆されているある事実で、おそらく一般に指されているもの自体は、そこまで目新しいものではないように思います。私自身は前述の二作に関しては特に何とも感じなかった人間なのであまりあてにはなりませんが。

 

正直なところ期待値が高かったため、今一つな印象でしたがまずまずの作品であると思います。

 

 

 

エド・マクベイン『キングの身代金』

キングの身代金 (ハヤカワ・ミステリ文庫 13-11)

キングの身代金 (ハヤカワ・ミステリ文庫 13-11)

 

グレンジャー製靴会社の重役キングは、事業の不振を利用して会社の乗っ取りを画策していた。必死に金を都合し、長年の夢が実現しかけたその時、降って湧いたような幼児誘拐事件が起こった!しかも、誘拐されたのはキングの息子ではなく、犯人は誤って彼の運転手の息子をを連れ去ったのだ。身代金の要求は五十万ドル。キングは逡巡した。長年の夢か、貴重な子供の生命か……誘拐事件に真っ向から取り組んだシリーズ代表作。

 

グレンジャー製靴会社の重役であるキングは同じく重役であるジョージ・ベンジャミンから経営不振の原因である現社長を追い出そうと提案されます。しかしながら彼はそれを断ります。それは彼も同様の計画を画策していたから。そのために彼は七十五万ドルもの大金を長い時間をかけ集めていた。そんなときに誘拐事件が起こる。誘拐されたのは、彼の息子ではなく、運転手の息子。身代金は五十万。キングはそれまでの努力を水の泡にしそれ以降の人生もすべてなげうって子供の命を救うのか、それとも子供を見殺しにして計画を遂行するのか。

 

もしもキングが身代金を払ったら、計画は失敗。ベンジャミンが彼を追いだし、彼のキャリアはそこで終わり、今のような生活は望めない。

はたまた、彼が身代金を払わなかったら、人質の子供は死に、彼は人殺しのレッテルを張られる。

このジレンマがこの作品の見どころです。

 

キングは努力をし、ここまで金を集めてきた、それに引き換え人質の父親である運転手は払えるような金もなく、息子の誘拐を知っても茫然としているだけ。

彼の努力を彼自身のために使おうとすることが間違いとされる状況というのがあまりに秀逸。

 

またここで巧いのが作者が、どちらが適当であると考えているかを見せていない点です。

キングのそれまでの苦労や努力を描きまたその一方で、子供の命を主張する人物も配置させる、そうすることで非常に解釈の幅を広げています。

 

つまり、身代金を払うことが正当であるという場合の意味するところは、簡単で金<命です。お金よりも人の命が大切、という話です。

逆に、身代金を払わないことが正当であるとすると、道徳という武器を多数が使うことで、普通ならば“正しい”はずの事を“間違い”にしてしまうというものになります。

 

はっきりどちらかという思想を見せれば一気に作品は薄っぺらく、説教臭いものになってしまいますが、それを巧くぼかすことで読者に判断を委ね娯楽作品としての状態を維持しています。

 

また、その一方で犯人側において、人間の善と悪の葛藤も描いています。

人間が何を以って善と悪を識別しているのか、自分の利益と道徳のどちらを尊重するのか、といったもの。

しかしどうしても本筋と比べると弱いですし、少しちぐはぐな印象も受けます。

 

ミステリ、警察小説要素は薄いです。警察の捜査も描かれるには描かれますが、しっかりとしたものではないですし、ミステリ的な見どころも特にないです(身代金の受け渡しとか犯人の追い詰め方とかには全く創造的なところもないです)。

 

舞台設定は優れていますし、面白い作品だとは思いますが、ミステリ警察小説的な観点から見てお勧めはしません。

小泉喜美子『血の季節』

 

血の季節 (宝島社文庫)

血の季節 (宝島社文庫)

 

青山墓地で発生した幼女惨殺事件。その被告人は、独房で奇妙な独白を始めた。事件は40年前の東京にさかのぼる。戦前の公使館で、金髪碧眼の兄妹と交遊した非日常の想い出。戦時下の青年期、浮かび上がる魔性と狂気。そして明らかになる、長い回想と幼女惨殺事件の接点。ミステリーとホラーが巧みに絡み合い、世界は一挙に姿を変える。

 

ホラーミステリというよりも幻想ミステリという形容の方がぴったりだと思います。

登場させるガジェットから「ホラー」という表現を用いるのは十分理解できますが、この作品の魅力というのは殺人犯の独白がほとんどである(警察パート、及び現実パートもあるのですべてではないですが)ために醸し出された底知れぬ曖昧さとそれに合致した儚げでありかつ少し洒落た文章だと個人的には思うので「幻想」ミステリという表現を用いたいなと思います。

 

この作品は、著者もあとがきで述べている通り、ドラキュラをモチーフにした作品です。シンデレラをモチーフにした処女長編『弁護側の証人』、青髭の『ダイナマイト円舞曲』、そしてこの作品、で西洋三大ロマン、ということらしいです。

この三作、モチーフを知ったうえで読むと面白さが半減してしまうように思うかもしれませんが、全くそんなことはないです。

それどころか、どちらかというとモチーフを知りそれをある程度念頭に置いたうえで読んでほうが、より楽しめるように思います。おそらく、著者自身もそれを意識して書いているように思います。

 

設定としては青山墓地で発生した幼女惨殺事件の顛末を語るため、容疑者が自分の少年時代からの話を始めるという話です。

あらすじの限りでは、ミステリではないように思えますが、安心してください(?)ガチガチのミステリです。

 

この作品最も大きな見どころは終盤の“独白”というテクストに関する検討とそこから展開されるミステリ的仕掛けです。

まず、この作中では彼があくまで“被告人”であるという点が重要です。彼は狂人なのか否か、という問題は彼の独白の信憑性という問題とともに彼が刑に処されるのかどうかという問題も生まれます。

これによって、作中人物が独白に関する検討を行うことが自然なものとなっています。

そしてそれに付随するようにミステリ的展開へと持ち込まれるのですが、ここである人物によって述べられるとあるコンフリクトにも注目です。

 

“吸血鬼”に関する記述ががそれまではなかったために、著者と読者の吸血鬼に対する認識の差があれば読者に違和感が生じてしまいまうというマイナス点がありますが、それを押しつぶすように怒涛の展開が繰り広げられるためほとんど気にはなりません。

で、このミステリ的展開というのは、例えば国内の超有名ホラーミステリーシリーズを彷彿とさせるようなものであったり、はたまた某有名英国本格のシリーズを想起させるようなものであったりします。この辺に関しては、おそらく人によって感じ方は違うと思いますが、やはり本格ミステリという認識は一致するでしょう。

 

というわけで、小泉喜美子の第三長編、紛うことなき幻想ミステリの傑作でした。