猫の巣

読んだ本の感想など、気の赴くままに。

コリン・デクスター『ニコラス・クインの静かな世界』

 

ニコラス・クインの静かな世界 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

ニコラス・クインの静かな世界 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 ニコラス・クインが海外学力検定試験委員会の一員に選ばれた際、委員会は大騒ぎとなった。彼は極度の難聴で、会話を交わすにも読唇術だけが頼りだったからだ。三カ月後、クインは毒殺死体となって発見された。補聴器をつけた安全無害の男がなぜ殺されなければならなかったのか?モース主任警部は即座に委員会に照準をあわせ捜査を開始するが…現代本格派の旗手が紡ぎ出す華麗な謎解きとアクロバティックな推理の世界。

 

ウッドストック行き最終バス』『キドリントンから消えた娘』に続くデクスターの長編第三作です。

まず初めに、おそらくこの作品相当人を選ぶと思います。

ウッドストック行き最終バス』や『キドリントンから消えた娘』も好き嫌いが分かれそうな作品ではありますが、おそらくそれ以上に。

ただ個人的には前二作よりも優れていると思います。

 

 

 人を選ぶ作品という形容をした大きな理由として推理の複雑さがあげられます。

前二作は最初から最後まで推理のスクラップ&ビルドを繰り返すという構成でしたが、本作品はそれとは異なり、中盤までは捜査パート、それ以降が推理パートとすみわけがなされています。

捜査パートにおいて、いくつもの矛盾をはらんだ容疑者たちの証言、膨大な量の違和感と伏線を一度すべて読者に示し、そしてそのあとの推理パートにおいて、それぞれの事象に関しての検討が行われていく、という形です。

 

ですから、まず非常に読者が把握しておかなければならない推理の材料がとにかく多い。これだけでも結構しんどいのですが、その上推理パートでは一つの仮説を立てると一度すべての材料をパズルにはめ込んでみてから穴や矛盾点を洗い出す、という手法をとっているために理解を追いつかせるのに時間がかかります。

作者も一応それを把握しているようで、仮説の組み立てと検討が終わった後理解できないルイスがモースに対して分かりやすい説明を求めるシーンがたびたび挟まれ、一応要約した説明をしてくれてはいますが。

 

確かに分かりにくいという点から見れば欠点ではあるのですが、個人的にはここがこの作品の一番面白いところであり、一番優れている部分だと思います。

一つ一つの仮説でそれぞれの証拠に関してどれも異なった解釈を見せる技巧ははっきり言って神業ですし、それぞれの仮説に対する反証のための伏線をすべて張り巡らせられてる点は純粋な本格ミステリとしても高く評価できます。

 

そして、もう一つ個人的にこの作品が優れていると思った点はユーモアのセンスです。

これに関しては他の作品にも当てはまるのですがより顕著に表れていたように思います。

モース警部という人物像は普通ならばマイナスに描かれうるものです(気分屋、酒飲み、口説きetc)。けれども、デクスターはそれをユーモアへと変換し、個性的かつ親しみやすい探偵像をつくりあげています。

特に本作品では、推理のほとんどない捜査パートを盛り上げる要素として扱われてたのでより印象に残りました。

 

煩雑さは否めませんし、分かりにくい点も多々ありますが、それを差し引いても十分に楽しめる傑作だと思います。