猫の巣

読んだ本の感想など、気の赴くままに。

小川哲『ユートロニカのこちら側』

 

ユートロニカのこちら側 (ハヤカワ文庫JA)

ユートロニカのこちら側 (ハヤカワ文庫JA)

 

 巨大情報企業による実験都市アガスティアリゾート。その街では個人情報―視覚や聴覚、位置情報等全て―を提供して得られる報酬で、平均以上の豊かな生活が保証される。しかし、誰もが羨む彼岸の理想郷から零れ落ちる人々もいた…。苦しみの此岸をさまよい、自由を求める男女が交錯する6つの物語。第3回ハヤカワSFコンテスト“大賞”受賞作、約束された未来の超克を謳うポスト・ディストピア文学。 

 

全ての個人情報の提供と引き換えに豊かで安全な生活が保障されるアガスティアリゾートという都市とそれに対する人々の動きを描いたディストピアSFです。

まず最初に感じたのが登場人物の気持ち悪さです。これは、否定的な意味合いではなく、どちらかといえば作者の意図に沿えば必然的な物であるようにも思えます。

それで、この気持ち悪さについてなのですが、その最も大きな要因と思われるのが、登場人物の役割です。例えば、第一章ではアガスティアリゾートへの移住を望み続け、ついに夢がかなった夫婦をえがいているのですが、ここでの主題は、すべてが他人に監視されている状況での人間の意識であったり、思考であったりです。ここで、描こうとしてるのはあくまで人間の心理、つまり内的な部分であり、決して外的な肉体的なものではありません。他にも、最終章では、宗教についても絡めて書いてあるのですが、ここでも人間は宗教思想よりも弱い、一方的に支配される存在として描かれています。

ここからわかるように、登場人物自体の役割は、人間の精神に焦点を当てるときに必要となる外枠という色が強いです。

 

もう一つこの作品について、感じたのは対比効果の多用です。

例えば、作品の根幹にかかわる設定部分においてでは、アガスティアリゾートとそれ以外や、アガスティアリゾート肯定派と否定派です。

前者に絡む内容として、アガスティアリゾート内外の人間の思考における対比の構図が挙げられます。

それを作品自体への応用として見て取れるのが第三章です。ここで描かれている登場人物は良くも悪くも非常に典型的な、それこそその辺の小説やドラマを見たら必ずありそうな感じの人物像です。これは他の章で登場するアガスティアリゾートに居住することで思考をしなくなった人間のちょうど真逆の存在でありながら、また彼らの元の姿でもあります。こうした人物像を用いることでより、アガスティアリゾートの人間の思考に対する影響力を強調して描くことに成功しています。

そこに関して面白い点が第四章です。ここで描かれる人物像はどちらかといえば、フィクションよりも現実に近いような人物像なのですが、そうであるにもかかわらずひじょうに気持ち悪い。それまでの人間がある特別な影響下であったために変化してしまった一般人であったのに対し、何かが元から違う、他の人間と同じ枠で区切ることのできない異常さを垣間見せる人間を演出しています。

この構造は、ある二つの対比するものを書き、その後にそのどちらにも属さない例外を描く、という決して珍しいものではないのですが、演出方法により、印象深く感じました。

 

正直なところエンターテインメント的面白さは薄いのですが、硬質な文章とそれに合致した硬い内容は非常に面白かったです。二作目の『ゲームの王国』も読みたいと思います。